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「子の幸せが親の幸せ」はいらなかった 今だから言える学校・親への思い 【ひきポス】

取材

2018年08月1日

左から 佐藤さん、石崎さん、池井多さん 

前回、ひきこもり当事者による雑誌『ひきポス』はどういう想いで作られているのか、雑誌を作る活動を通して得られたものなどを伺いました。
そして今回は、いま3人が「学校」や「親」に対して今思うことをお聞きしました。

子供が成長する過程で大きく関わるのが「学校」と「親」ですが、学校は画一的、親子の関係は自分の体験や一般論といったものしか拠り所がないのが実態です。
今の問題は? そしてどのように関わっていくことが望まれるのか。当事者の目線で率直に答えていただきました。

「学校に行ってないのは普通じゃない」

── 人が育つ上で、親と学校の存在ってとても大きいものだと思うのですが、いまだからこそ言える、学校という存在に対して思うことはありますか?

佐藤さん(以下敬称略)「僕は不登校経験者でもあるし、『不登校新聞』というメディアのボランティアとしても関わっているんですけど、『学校に行ってないのは普通じゃない』って感覚は、不登校新聞に通っている子達も感じているんです。

仕事をしてないと、悪いことをしているわけじゃないのにものすごく悪いことをしているみたいに、なんでするべきことをあなたはしてないんですかってことを言われる。学校もそうですよね」

── たしかに、学校に行かないことや働かないこと自体は「悪いこと」ではないはずなのに、どこか後ろめたい気持ちになってしまう気がします。

佐藤「僕は不登校になった瞬間から、真ん中の道っていうか、学校に行くっていう当たり前のことをしないことで、ものすごい悪いことをしてるんじゃないかとか、常に自分の人生に引け目があるような感覚を背負ってしまいました。

でも実際に32歳まで生きてきて、そんなことはやっぱりないんですよね。出会うべき人とか出会うべき場所に出会ったときに、はじめて自分のこれまでの過去を多少肯定していけるんじゃないか、っていう気持ちになれたんですよ」

── 学校に行っていないことは悪いことではないとOKが出せるようになったと。

佐藤「はい。そもそも学校っていうシステム自体が、1クラスに30人40人の子供が閉じ込められて、でも先生は1人しかいなくて、全然先生の目は行き届かない状態じゃないですか。

それじゃあ、生徒がそれぞれ問題を抱えていても、先生はそれを発見できないし、そんなシステムではきっと誰かしらがすごいしんどい思いをしてる可能性が高い。それも学校に何人ってレベルじゃなくて、ひとクラスに何人ってレベルで。
だから、しんどかった学校なんて行かなくてもいいと思うんですよ」

── 子供の問題だけではなく、それを発見できない現状の学校システムにも問題がありそうですね。

佐藤「不登校になってる子達は、学校が合わなかったから不登校になってるだけなのに、その子達がその後の人生においてもずっと引け目を感じちゃったり、うまく社会に乗っかれなくなったりっていうのは、学校の制度とかシステム自体が限界なんじゃないか、いろいろまずいんじゃないかなって思ってます。

学校っていうところに行かなくても、全然普通に生きて行けるんだよって思いますね」

── だけど、自分が子供のときにそう思うのは難しいのかな、と思うんです。学校に行かないと終わり…みたいに思ってしまって。

佐藤「ええ、子供のときはそうは思えなかったですね。うちの母親は、率先して『学校なんか行かなくていいよ~』って言おうとしちゃう人だったんですけど、親がそういうこと言えば言うほど、自分は『行かなきゃいけない』と思ったし、行けなかった自分を責めてたんですよ。

学校に行け! と怒られる逆のパターンを良く聞くんですけど、僕は自分が受け入れるより先に親に受け入れられちゃったのが辛かったのかなぁ、と今は思いますね」

── タイミングが悪かった?

佐藤「うーん。自分がまだ心や体の準備ができてないのに、親が『もう準備できたよ』って状態になってるのが本当に嫌で。それがその後も続いてて、母親とは仲悪くなっちゃったんですけど」

── なるほど。池井田さんは、不登校はしていないということですがいかがでしょうか?

池井多さん(以下敬称略)「私は23歳でいざ就職するというタイミングでひきこもりになったわけですが、もっと早くからひきこもっていればよかったと思うんですよ。今から思えば、あんな学校なんて歯食いしばっていく必要はなかったし、そのほうが親に対して私のメッセージをもっと早く明確に伝えることができた。

私の場合は一人暮らしになってからひきこもりが始まりました。だから、親は私のひきこもりが親に対してのメッセージだと認めないのです。もともと自分がやったことから『逃げよう、逃げよう』とする親でしたから。これはしまったと思いました。もっと早くから表に出せばよかったんですね。私は悪い意味で従順すぎました」

── それは学校とか環境に対して?

池井多「学校や環境が目先の対象でしょうけれども、私の場合、結局は巧妙に証拠の残らない形で精神的虐待をしてくる母親に対してですね。なぜ私が従順だったかっていうと、それは承認欲求に飢えていたからです。

本来もらうべき親からは承認をもらっていなかった。それで毎日学校に行くっていうことで、学校の先生や社会から、なんか承認をもらおうと思ってたんですよ。

でも、しょせん親の承認の代替物にはならない。ちゃんと親と対峙した方が賢明でした。いま考えれば親からちゃんと承認をもらっていれば、多少自己肯定感が高くなって、『こんなバカバカしいことやってらんねーよ』って素直な気持ちになれたかもしれないですね」

学校は「いじめ発生マシーン」になっている

石崎さん(以下敬称略)「学校に対して思ってることいっぱいあるんですけど、学校はいま『いじめ発生マシーン』になっていて、やばい状況だと思うんですよ。
まず自分が学校に失望したのが小学校1年生の入学式の翌日なんですけど…」

佐藤「はやいな(笑)」

石崎「クラスに、入学式の正装のようなかしこまった服装の子が来たんですよ。たぶん親御さんは、入学式後1週間くらいはちゃんとした服で行ったほうがいいと思ったんでしょう。でも他の子はみんな普段着じゃないですか。

だから、そのかしこまった服の男の子を見て、周りの子供たちが『社長! 社長!』 って囃し立てていじめはじめたんです。それを見て、『うわー! とんでもないところきちまった!』と思いました(笑)

しかもその日に体育の授業があったんですけど、自分の体操着が隠されてて、オロオロして泣いちゃったんです。そういうことがもう入学式翌日から始まったんですよ。

ちょっと荒れてる学校っていうのもあったんで、いじめが発生しやすいっていうのもあった。、常に誰かがいじめられてたし、友達がいじめられることや、自分がいじめのターゲットになりそうなこともたくさんありましたね」

── それは学校に行くこと自体に、不安感を覚えても仕方ないですね…。

石崎「学校って、本来つながることがない人たちを、同い年だからってことで1つのクラスに寄せ集めてるわけですよ。別に気が合う仲間とかってわけでもない人を集めて、学校が強制的に同じことさせたら、ストレス発生するに決まってますよ。大人がやらないことをやらされてる。その状況は奴隷に近いわけで、大人だったら絶対逃げたくなりますよ。

もちろん学校は学ぶこともいろいろあるかもしれないけど、とにかくいじめが発生するならそれはやばい状態なんだと認識して、いじめを発生させないことを基準にして、すべての学校制度を変えたほうがいいと思うんですよね」

── いじめをきっかけに不登校やひきこもりになる人もいますからね。

石崎「そう、やっぱりそれで人間不信になるんですよ。いじめの快楽とかを学校で学んでしまって、人間なんてないがしろにしてもいいんだという気持ちから、社会人になっても人をいじめ続ける人もたくさんいる。

だから学校は、人をどんどん歪ませて、すごい嫌な人間にして、そういう人が勝ち残って嫌な社会を再生産させている可能性はありますよ。例えばブラック企業とかね」

佐藤「学校で生き残った人たちがおおよその社会を作ってますよね。で、学校で生き残れなかった例えば僕とか、そういう人たちもいるんだけど、そういう人の声って反映されないんですよ。

それこそ学校に耐えられるメンタルを持っている人、良いところ悪いところを含めて、他人への攻撃性とか悪いことをばれないようにやるとかっていう才能がある人が生き残って、その後も活躍する。

でも、僕は学校で生き残れなくてもちゃんと活躍できる場所がある方が健全だと思うんですよ。そうなってないよね、今。と思うのでそういうのは変わるべきかなと」

同じことをしてるお母さんはなんで罰せられないの?

── 『ひきポス』1号の「なぜ、ひきこもったのか」特集でも親については多くのライターさんが書かれています。みなさんは、今だから言える「親にこうであってほしかった」というものはありますか?

池井多「限りなくあるけど…あんまり理想を言ってもしかたないから、最低限で言うと、親には自分の言葉に責任を持ってほしかったですね。私の親は、子供である私には責任を追求するのに、親である自分に都合の悪いことはなかったことにする親だったんですよ。それで私はずいぶん歪んでしまった気がするんです。

さっき石崎さんが『学校はいじめ発生マシーンになってる』とおっしゃったけど、私の場合は家がいじめの現場でした。だから私はその状況を再生産させるために、学校で他の子をいじめたこともありました。自分が母親にされたことを、そっくりそのまま他の子にやっていたわけですよ。

でも、そういうことをすると私は罰せられる。なのに同じことをしてる母親は罰せられない。『これはおかしい。不公平だ』と当時から強く思ってましたよね。だけどそういう疑問は当時は言語化できなかった。そういうものが私の内部にひたすら蓄積していって、私は精神的におかしくなっていったのだと思います。

他にも希望を言ったらきりがなくて、例えばもっと抱きしめてほしかったとか、優しくしてほしかったとかありますよ。でもそんな高望みは言わないから、せめて親には自分の言葉に責任を持ってほしかったですね。そうすれば、私もあそこまでおかしくならなかったと思う」

石崎「これは似たような話かもしれないんですけど、毎日子供を叱ってる親がいたら、自分の親との関係を見つめ直して欲しいなと思うんですよね。

自分の場合は昔、父親がすごく厳しかったんですけど、父の親もすごく厳しい人で、たぶん結構傷つけられて大人になってるんですよね。だけど、父はそのことに向き合わずに生きてこれてしまった。でも子供のときのどうしようもない怒りとか不安みたいなものは心の底に存在し続けてて。それを自分の子供にぶつけちゃうんですよね。

父は子供がちょっとでも自分の思い通りにならないと怒りを爆発させてたんですけど、それは本質的には父自身が強い不安を抱えているってことだと思うんです。
その不安を対処せずに大人になって、しかも会社とかでも偉くなっちゃうから、自分の弱さみたいなものを出せない。そのしわ寄せが子供に行っちゃうんですよ。

だからこそ、親自身が自分の親との関係を見つめ直すっていうのは、とても重要だと思いますね。そうしないと、子供に問題を押し付けることになってしまうので」

佐藤「僕は不登校やひきこもりの親御さんと接する機会が今もあるんですけど、常々思うのがみなさんとても優しい方なんですね。ただ、ちょっと子供に対しての愛情が強い方が多いかなと感じることは多いです。
うちの母親も過保護に入る方だと思うんですけど、そういう親ってずっと子供のこと考えてるんですよ。

この子の将来どうなるんだろう、どうやったら学校行ってくれるんだろう、仕事してくれるんだろう。この子がちゃんとしてくれないと私が安心して死ねない、この子が幸せになってくれないと私が幸せになれない。とか。自分の人生どうこうではなく自分の人生の幸せは子供が幸せになってくれること、みたいになってるんですよね。

そうなった結果、自分自身には問題があると思ってないんです、おそらく。自分は子供のためにやるべきことをなんでもやろうと思っているみたいに、一見とても素敵な親御さんのようなことを言うんですけど、自分自身の生き方と向き合ってなかった人はすごく多いんじゃないかなって思ってますね」

子供と親は別の人間ですからね

佐藤「僕はひきこもってたときに夜中起きたら親からの手紙が置いてあることがたびたびあって、『あなたが幸せになってくれることが私達の~』みたいなことがよく書かれてたんですよ」

石崎「きついね…」

佐藤「幸せは、僕自身が見つけて実感していくものであって、あなたのために僕は幸せにならないといけないんですか? っていうね」

石崎「しかもプレッシャー半端ないよね、そんな事言われても」

佐藤「ましてやひきこもってる時だから、自己嫌悪感が半端ないんですよ! だけどそんな手紙を書かせてるのは自分自身がこういう状況だからだ、っていう自己嫌悪がまた始まるんです。

それに、その手紙は絶対読まないといけないと思ってたんですよね。こういう状況にさせてるのは自分が悪いから、この呪いの手紙を読まないと、この家でごはんも食べちゃいけない…みたいな。でもそれは今思うと間違っていたし、親も早く僕自身から離れるというか、良くも悪くもどうでもよくなるほうが良かったんです」

── どうでもよくなるというのは?

佐藤「親って子供に自分自身の願いみたいなものを託そうとするじゃないですか。でもそれは心の中で勝手に思ってる分にはいいのかもしれないけど、やっぱり子供と親は別の人間ですからね。別の人間だってことに、特にうちの母親には気づいてほしかった。

だから、子供の前にいち人間としての自分っていうところに立ち返るべきだったんじゃないか、そうしたほうがいい親御さんって多いんじゃないかなと思います」

2号の特集は「こうして人とつながった」 3号は…?

── 1号は「なぜ、ひきこもったのか」、2号は「こうして人とつながった」。当事者としても親としても気になる特集テーマでした。いま制作中という3号はどんな特集なのでしょうか?

佐藤「3号の特集は『恋愛と結婚』っていうテーマです。これはまさに僕が20代をひきこもる形で過ごした結果、恋愛が全然できなかったんです。恋愛ができないことによって、それに付随していろんな自信がどんどんどんどん失われていった。

とてもじゃないけど女性のこと好きになっても好きって言えなくなっちゃったし、自分の自己肯定感とかがどんどん崩壊していっちゃったんですよね。それはほんとにしんどいことでした。

恋愛とか結婚って幸せでキラキラしたものって語られることが多いけれど、生き辛さを抱えてた人ってどういう恋愛とか結婚をしたんだろう、というのを世の中に出してみたいと思って、選びました」

── 楽しみにしています! 本日はインタビューさせていただき、ありがとうございました。

編集後記

インタビューでお話しいただいた言葉には、ショックな言葉があったかもしれません。でも、これがインタビューさせていただいた3人が感じたことであり、不登校やひきこもりといった現状にいる多くの人が感じていることなのでしょう。

「当事者が発信する」

それがなぜ心に響くのかというと、それはやはり嘘がないからではないでしょうか。
知りたくないことを知ることや、否定されること。それは誰にとっても心地良いものではないでしょう。

それでも、まずは知ること。そして、「その人がそう感じていること」を受け入れることから、あらゆる歩み寄りがはじまるのではないかと思い、率直な意見をそのまま掲載いたしました。

そして、「それは違う」という否定や無視ではなく、「私はこう思っている」とそれぞれの感じ方を伝えあうことで、ひきこもりや不登校を多くの人が考えるきっかけになることを願います。

彼らが作る雑誌、『ひきポス』もまた、そのきっかけとなる内容が詰まっていますので、興味を持たれた方はぜひご購入してみてはいかがでしょうか。

ひきポスロゴ

取材協力:ひきポス 編集部

URL:http://www.hikipos.info/
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『ひきポス』購入サイト:https://hikipos.thebase.in/

このコラムの著者

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株式会社クリスク  ライター
北海道出身。中学時代に約2年間いじめにあい不登校になりかける。高校では放送部に熱中し、その後大学へと進学。上京してはじめて、学校以外の居場所や立場の違う人と接し、コミュニケーションについて考えるように。現在は自分の経験を活かし、子供の悩みや進学に関する悩みについての記事を執筆。